act.1 神の名を持つ囚人

物語はひとりの老婆の言葉から始まった。

「…世界には普通の人間とは違った不思議な力を持った人間が存在していたわ。彼らはその力を求める者に力を貸したり、時には契約したり、けれどたいていの人はその能力を隠してこっそりと生きて来たのよ。古い時代にはもっとたくさんの人々があらゆる力を使えたらしいわ。でも、ある時その力を化け物扱いされた挙げ句、多くの能力者が殺されたと聞いてる。だから今では数が少ないのよ…。そんな人たちの事をこう言うの……。生まれ持っての特別な体質………『体質者』……と」


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物語のはじまりの地、ヴェルヌという国は世界的にも先進国として知られ、『世界の有名な国』としてはたいていの人間が一番最初に名を挙げる大国である。物語の時代設定は、読者のいる世界の現代と思っていただきたい。
ヴェルヌといえば、首都ノイシュヴェルツの大都会が有名だ。長い建国の歴史を持ち、今ではIT技術が発達し、ビルの摩天楼が際立つ。ショーやミュージカルも盛んで、演劇に憧れる者なら誰もが一度は訪れたいという聖地でもある。世界的にも人口が最も多い国で、様々な国籍の人々が暮らしている。つまり、現代の粋を全て詰め込んだような国だ。
しかし、そんなヴェルヌにも影がある。それは、世界で最も犯罪が多い国として知られていることだ。近年、ヴェルヌでは犯罪が多発している。政府の調査によれば、警察や裁判官、刑務所の看守等所謂「正義」の仕事に就いている者よりも、犯罪者の方が多いという発表がなされたほどだ。
ヴェルヌには犯罪に手を染めて生計を立てている者が多く、強盗や誘拐、殺人まで平気で行う連中が圧倒的に多いのだ。それ故にヴェルヌへ憧れる者と、恐れて近付かない者の差が激しい。
しかし、ヴェルヌに生まれた者はそんな犯罪の中で自分の身を守る術を生まれた時から教わり、何事も無く暮らしている者もいる。そんな犯罪都市でもあるヴェルヌでは、正義の公務員達が毎日必死に捜査や追跡を繰り返している。そういった、公務員達の多くは犯罪によって自分や、大事な人を失った被害者や遺族達だ。犯罪により、辛い思いをし、犯人を憎む気持ちが彼らを正義へと導く。それでも、公務員と犯罪者の割合は3:7程。日々起こる犯罪に手が回らないケースも多い。
また、最近では不可思議な現象を起こす犯罪というものがある。理由や原因は不明だが、現実ではあり得ない現象を用いて犯罪を犯すのだというが…真相は未だ謎である。
しかし、犯罪者の中には貧しさ故、人に騙され、罪を犯す者達がいた。彼らの悲痛な叫びを、誰が聞こうとしただろうか。それを知らず、正義に燃える警察が彼らを逮捕し、裁判さえも彼らの意見を聞かず、そして彼らはそのまま刑務所へ放り込まれ、苦しみと悲しみの日々を過ごすのだ。
…すべてのはじまりはこの国内最大の刑務所、ノイシュヴェルツ刑務所。国内の凶悪犯が服役する、最も恐ろしい場所だ。



ヴェルヌ最悪の刑務所は全てが灰色だ。壁も床も鉄格子も冷たい色。そこに入れられた囚人達は憎悪と悪態にまみれて暮らすしかない。そして時折囚人同士で暴れて、刑期が伸び、再び暴れる。その繰り返しが多い。服役している囚人達の面はどれも薄汚くてごつくて恐ろしい。まるで神話のデーモンのようだ。
その中の、B棟609番部屋に、他の囚人達と違う顔つきの若い男がいた。鉄格子付きの小さな窓から照らす月明かりに当たると暗い浅葱色に透ける深い黒髪で、前髪の長い男。まだ年の頃は二十代後半といった感じだ。他の囚人達と同じ、白とグレーの囚人服を着て顔も土埃で汚れているが、なかなかに男前な顔立ちだ。珍しい鮮やかな緑の目をして、簡易用ベッドに座り込みながら呆然と目の前の壁を見続けている。看守の男が廊下を過ぎて行った時、男が背中を付けていた壁の向こう側からコンコン、と壁を叩く音がしたと同時に壁越しに声が聞こえた。

「…ジーザス、起きてっか」
「…ん、ああ、ルークか」

ジーザス、と呼ばれた黒髪の男が返事をすると壁の向こうのルーク、という男が話を続けた。

「なんだ、どうした」
「いやーなんというか暇で」
「…なら寝る」
「いやいやいや、ちょっと待てって」
「…なんだよ……俺は眠いんだ」
「ちょっとくらい話聞いてくれよー!」

ここまで二人の会話が看守に邪魔されないのは、この時間が決まって看守が交代するまでの三分間誰もいない状況だからである。

「なあ、ここに入ってどれくらい経った?」
「あー、半年だ」
「半年かー…ちっくしょー、めんどくせえ」
「………そう言うなよ…ルーク」

ジーザスはルークに答えながらベッドに仰向けになり、手を額に乗せる。二人は、ジーザスが殺人罪でルークが殺人幇助で服役している。ジーザスは懲役五年。ルークは懲役三年を言い渡されていた。ふたりは、半年前に一人の男を殺害したとして逮捕、起訴されていたのだ。
しかし、それには深い訳がある。それは後々語っていくとしよう。ジーザスとルークは四年前にノイシュヴェルツで出会い、意気投合して以来ずっと一緒にいた。しかし、まさか刑務所まで共になるとは思ってもみなかったろう。
すると、途端にコツコツと革靴の音が聞こえてきて二人はびくりとした。恐怖とか、そういった感情ではなく、「また来たか…」といったような呆れと、憎悪に近い感情だ。ジーザス達を含め、この刑務所の囚人達は皆看守を嫌っていた。囚人が看守を嫌うのは珍しいことではないが、ここの看守達は全員が犯罪で大事な人々を失っており、看守達は異様に囚人達に厳しく当たるのだ。本当の仇のように憎み、「お前は屑だ」等と暴言を吐き捨てる。故に本当にここの看守と囚人は険悪だった。中でも、所長のダグラス・ブライアントは最も犯罪者を憎んでいた。大柄な体格で常に眉間に皺を寄せ、黒の短髪からのぞく黒い瞳はいつも囚人達を見下し、時には暴力的な行動に出ることもある。自分にも他人にも厳しく、服役囚の誰もが彼を殺したいと思ったことがあるだろう。それは、ジーザス・オズボーンも同じことだった。
そして最近、新しくこの刑務所に看守が増えた。それがジーザスにとってはまた勘に触る相手であった。

「静かにしろ、オズボーン、ジョーンズ」
「!」
「へーへー」

そこに歩いてきたのは交代の看守だった。男にしては高く、凛とした声。ルークがいつものように気だるく返事をする。ジーザスはベッドに寝そべったまま、目だけそちらに向けた。

「…今日もお勤めご苦労なこったな、女看守さんよ」
「……口を慎め、オズボーン」

毎回この時間に監視に来るこの看守は女だった。ジーザスとルークがここにやってきてから三ヶ月後に赴任してきた女看守。いつも帽子を深く被り、はっきりとした素顔が見えないがとにかく固い性格で囚人達に対しても淡々としている。彼女、ルーナ・ブライアント。先程も記述したが、この国では警察、刑務官、裁判官等の法に携わる人間よりも犯罪者の方が数が多い。常に公務員、特に刑務所の看守は人員不足状態だ。政府の公安部が彼女の優秀さを見込み、故に、この刑務所でも女性である彼女を看守として採用せざるを得なかった。

「今日も冷てーな、……女のクセによ」
「……」

ジーザスが嘲笑うかのようにルーナに言い捨てる。ジーザスは元々女が好きな方ではない。昔からその容姿に惹かれ、ジーザスには女性が寄って来た。色気を使い、媚を売る女達。ジーザスは飽き飽きしていたのだ。そんな中、このルーナという看守は帽子に入れ込んだきれいな金髪と白い肌、サファイアブルーの瞳しか見えないがその冷たい態度がジーザスは気に食わなかった。一切表情を変えず、見下すような瞳。一度殴ってやりたくなるほど。

「お前みたいなヤツに捕まってると思うと反吐が出るぜ……いつも顔色ひとつ変えずに、俺達を見下してんだろ?……胸クソ悪ぃ」
「…犯罪を犯したのだから、捕まるのは当然だ。…犯した罪に値する罰を受ける。常識だ」
「…常識…?そんなもん……時と場合によって変わる…俺達の常識とアンタらの常識が同じだと思ってんのかよ。……俺は、自分のために罪を犯して生きてる…誰にも迷惑なんざかけちゃいねえ」

睨むようにジーザスはルーナを見た。その眼差しはまさに凶悪犯。一般人ならあまりの殺意に身動きが取れなくなるほどだ。だがルーナはやはり顔色を変えなかった。

「……お前は人を殺した。マフィア同士の抗争だったから刑期が五年だったのは運がいいと思え」
「…五年か……まだあと四年半もあるじゃねえかよ……だったらその間」

ジーザスが一際大きな声で叫ぶ。

「…お前が遊んでくれんのかよ!?女看守が!」
その声ははっきりと、そして恐ろしいまでに響いた。ジーザスの闇のような紺の瞳がルーナの青い瞳を捕らえるがルーナはふい、と視線を反らす。

「……おとなしくしていろ」

それだけ言うとルーナはそのままその場を立ち去ってしまう。彼女の革靴の音が冷たい廊下に響き渡る。

「……けっ…」
「…なんだ、ジーザス、今日は随分とつっかかるじゃねーか」
「…別に……ただムカついただけだ…」

不機嫌そうにジーザスは壁の向こうのルークに言い、再び目を閉じる。するとおかまいなしにルークが続けた。

「そういや、あいつ、所長の娘なんだよな…あーあ、あの極悪所長…親子揃って嫌味だぜ」
「…所長か」

先程も記述した、この刑務所の所長であるジム・ブライアント。彼はルーナの父親だ。華奢な娘とは全く似ていない。厳格な性格のジム、その娘であるルーナもそれをしっかり受け継いで囚人に対しては父親ほどではないが厳しい態度をとっている。二人は刑務所内ではほとんど会話もせず、上司と部下という関係をきっちりと守っているが囚人への態度はまさに親子といったところ。ジーザスはあの親子二人が嫌いだった。

(いつか…こんなところ出てやるさ……四年もしないうちにな……)

そんなことを考えていた時、ふとジーザスは思いついた。

「…ルーク」
「ああ?」
「……脱獄するぞ」
「はぁ!?」

突然のジーザスの言葉にルークは思わず大声をあげてしまう。

「でけぇ声出すなバカ……いいか、ここの囚人どもは皆凶悪犯ばかり…それに看守の数は囚人の4分の1もいねえ。…集団で奇襲をかければ……できる」
「本気かよ!?いや、ま、確かに…できる気もするけどよ…」
「所長と看守どもを黙らせてみてえとは思わねえか?」
「まあ…確かにな…」
「…あのクソ女看守にもな…あいつはちょうどいい役になるぜ。……ルーク、他の囚人達にこっそり伝えておいてくれ」
「あ、ああ…まあ皆すぐ了承するはずだ」

ジーザスはベッドから体を起こし、ニヤリと笑った。すべてはこの男の企みから始まる……そして脱獄計画はひっそりと、しかし確実に進んでいった……。


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