act.11 ジーザスの過去

二人は街が見渡せる小高い丘に登った。オズボーンファミリー邸の近くに存在する丘は、屋敷ほど高い場所じゃないが、それでも街と海と空を見渡せる素晴らしい場所だ。

「ここは俺がガキの頃から好きだった場所だ…」
「すごいわ…きれいな眺めね」

紫に染まりきった夕方の空と、澄んだ空気。街には明かりが灯りつつある。海も静かに波を浜辺に運んでいるのが見えた。景色に見とれるルーナをジーザスは見つめる。

「…ルーナ。この島が好きか?」
「…そうね…素敵な所だと思う」
「……俺はこの島が好きだ。…けど、俺はかつてこの島を捨てた」
「………」

ルーナもジーザスを見つめたが、逆にジーザスは目を反らして景色を見た。ルーナが刑務所にいた頃に見た彼に関する書類でも、ジーザスは父親と不仲になりファミリーを飛び出したと記録されていた。そして苦い記憶を呼び覚ますようにジーザスは語り出した。

「…俺はブリタナで生まれ育った。オズボーンファミリーに生まれた以上…俺が次のボスになることは決まってて、俺はガキの頃から世界中にあるファミリーの支部に行ったりしたが…ブリタナが故郷だった。…それもこれも、おふくろがいたからさ」
「…お母さん?」

ルーナは初めてジーザスから母親の存在を口にされて少し驚いた。屋敷にも母親の姿は無かったし、誰も口にしなかったのでルーナからたずねることもできなかったのだから。

「…俺のおふくろは、ジャポンの出身でな。俺がガキの頃に病死した。もう顔も覚えちゃいねえんだ…。写真でしか顔を知らない。俺は昔からおふくろが大好きで、いつも離れなかったらしい。昔から姉貴はあんな性格だから、姉貴にいじめられて泣きながらおふくろに抱きついてばっかりだった…そんな時、いつもおふくろは俺を優しく抱きしめて…あの温もりだけは今も覚えてる。親父は時折遊んでくれたし、俺はあの頃は…まだ親父が好きだったしボスとしての仕事をする親父の背中は憧れてた…」
「……」
「親父とおふくろは仲が良かったし、親父はおふくろにいつもべた惚れで良い歳になってもいちゃついてた。ある時、おふくろが病に倒れた時…親父はいつも看病していた。俺も姉貴もずっとそばにいたが…結局おふくろは助からなかった。それ以来、親父の態度が変わった。親父は俺達を今まで以上に甘やかすようになって、正直うざいと思うほどに俺達に愛情を注いだ。だがその態度が俺には…『母親の代わり』扱いされているような気がして苛ついたんだ。……あの頃、俺は大好きだったおふくろが死んでガキであっても、悲しくて悔しくて精神的に落ち込んでいた。もうおふくろがいないことが本当に辛くて…そんな時、親父の態度が重なって面倒くさくなって、でも親父に甘えられなくて…そんな状態のまま、俺は成長した。どんどん親父が嫌になっていって、学校でも荒れていた…そして、五年前…俺はついに決意をしたんだ。……親父を殺そうって」
「…!そんな…」

拳を握りしめ、ジーザスは嫌な記憶を呼び覚ましていく。

「…あの日…雨が降った。暗い――嫌な雨だ。俺はその日、屋敷に帰ってすぐ、親父に銃を突きつけた。まわりには、部下も姉貴もいた。みんな驚いて俺を止めようとしたが銃があるから近付けなかった。俺は親父の頭に銃を当てたが、いざとなると引き金が引けずに躊躇った…親父は表情を変えなかったが、しばらく俺が迷っていると銃を奪い、俺を得意の体術で押えつけてきた。その時の親父の目がまるで敵に向けるものみたいで…俺は本気で怖い、って思っちまった…笑っちまうよな、俺は実の父親を殺そうとしていたのに…」 半ば泣き出してしまいそうな瞳でジーザスは苦笑いする。その姿は痛々しく、そして悲しげでルーナは彼を見つめる事しか出来なかった。 「…その後、俺はすぐ島を出て行った。当然さ…あんなことがあったんだ…そのまま暮らせるはずがねぇ。親父は何も言わなかった。姉貴が必死に止めてきたが俺は聞かなかった…。それからはヴェルヌで一人気ままに暮らしてた。それでも…俺はオズボーンファミリーのコネを使ってたんだ…ヴェルヌにある支部の屋敷に住み着き、何もせずに暮らすだけの日々…そんな時にルークと会い、意気投合して二人で色々やっていたが…あの日、オズボーンファミリーに恨みを抱く殺し屋が俺を狙ってきた。そして俺はあいつを止めようとした時、銃が暴発し、そいつが死んだ。…それが、俺が逮捕された時だ…それからは…お前が一番よく知っているはずだろ?」
「……っ」

ルーナが俯くと、ジーザスはそっと彼女の手を握った。あまりにも自然な動作でルーナ自身拒むことができず、思わずジーザスの顔を見ると彼は今までに無いくらい優しい表情をしていた。

「…ジーザス…」
「……もう二度とブリタナに帰ることはないと思ってた。…けど、逮捕されて服役して…お前と出会わなければここに戻る事は無かったんだな……お前をここに連れてきたいと思わなきゃ、…親父達と話すこともなかった」
「……お父さんともう一度話をするべきよ…あの人は…あなたと似てる。話せば理解してもらえる人よ」
「…今朝だって…部下も、姉貴も、親父も…まるで五年前のことが無かったかのように接してた……」

ジーザスから過去の話を聞いていないルーナでさえ、多少のわだかまりは感じていたがそこまで深刻な事件が起きたとは思っていなかったくらいだ。アーロンや部下、ビーナスはジーザスに優しく接しているように見えた。息子に殺されかけた父は…息子を許している。そう思えたからこそルーナはジーザスを説得する。

「…今夜、ゆっくり話をしようと思う……それに、俺は本当はわかっていたんだ…親父があんな風に俺達を甘やかす態度をとってきた理由…親父だっておふくろが死んだのは辛かったんだ…だがそれを俺達に感じさせないために…寂しい思いをさせないように、おふくろの分まで愛そうって…そう思っていたに違いないって…でもそれを認めたくなかったんだ……」

ルーナの手を握る力が強くなる。それでも彼女は拒む事をしない。かつて凶悪犯だと思っていた彼の姿はもうそこには無い。今目の前にいるのは親を愛する心優しい息子の姿だった。

(この人だって…私と同じひとりの人間であり、子供なんだわ……悲しみを見せないために…頑張ってきた人…)

ルーナは自分の手を握るジーザスの手にもう片方の手を乗せ、優しく包み込んだ。母親が子供を包み込むようにそっと、優しく…。

「…ルーナ、俺はお前と会えてよかった。…お前と出会って、…思い出してきたんだ…おふくろの温もりや、優しさを……。優しさなんて…もう何年も忘れていたのにな…」
「…あなたは優しい人よ。私を何度も助けてくれた…」

廃工場、病院、港…ジーザスは何度も無意識のうちにルーナに優しく接して、その命を救っている。彼自身気付いていないのだ。母親譲りの優しさを。彼はその行動が、ルーナから与えられたものだと思っていた。勿論、それは一理ある。ジーザスは本来とても仲間想いで優しい性格だ。それが母の死や父との確執、反抗期等様々な要因が重なって自暴自棄になって優しさを忘れていた。そしてルーナと出会ったことがきっかけとなり、本来の優しさを取り戻していったこと。ジーザスにとってルーナが特別な存在になっていったこと…。
「…ルーナ……俺がお前を巻き込んだっていうのに…そんな風に言ってくれるお前はやっぱり優しいんだな。……俺のワガママを聞いてくれないか。…これは俺のただのエゴだし、本当に愚かなことだ」

最後の方はほとんど自分に言い聞かせるような口調で、ジーザスはルーナの手を両手で握り、一息ついて言った。

「…俺はお前が好きだ」

その発言にルーナは驚き、目を見開いた。そのきれいな海の色の目はまるで彼女の胸元に輝くブリタナブルーのペンダントのように輝く。あたりはすっかり日が暮れ、空は濃紺に近付き、星が煌めき始めている。先程まで見えた海の波も今は暗くて目視できない。家々では夕食の煙や匂いが漂っている。ほとんど夜へと変わりつつある景色の中、ジーザスの告白ははっきりとルーナに聞こえていた。

「……」
「……」

互いに沈黙が続く。ジーザスが自ら女性に想いを伝えるのは彼の二十八年の人生の中で初めてのことだ。勿論、女性経験は多い。しかし、彼はもとより女性に興味がなく、来る者拒まずといった部分があった。彼のルックスの良さは多くの女性達を惹き付けてはいたが、断じて本気になる事は無く、最悪の場合肉体関係のみという場合も多数あった。それでも相手の女性は喜んでいたものだ。それが今では、彼がルーナに本気で想いを寄せる立場になっている。恋とはわからないもの。

「……わた、し……」
「…わかってる。迷惑なことだって…。なんせお前にとっちゃ俺は自分を誘拐した凶悪犯だ…。いいんだ…言っておきたかっただけだからさ。…俺も踏ん切りがつくから」

諦めたように笑うジーザス。ルーナから手を離し、距離を取るとルーナは何故か少しだけ寂しいという気持ちになった。ジーザスは必死に笑顔でごまかすように言う。

「さ…もう寒くなってきたな。そろそろ帰るか…ほら、行くぞルーナ」
「ジ…ジーザス」

ルーナがジーザスを呼び止めると、ジーザスはびくりとして足を止めた。返事を聞くのが怖かったのだ。はっきり言って彼自身、ルーナがジーザスを受け入れるとは思えなかったからだ。何せ、ジーザスは誘拐犯だ。そんな想いが頭に巡っているジーザスはルーナの方を振り向く。ルーナはわずかに頬を染めながらも、困ったような表情をしていた。

「…今は…まだわからないの……自分の気持ちも…だから今は…答えを出せない…」
「……そうか…」
「…だから、私…もうしばらくこの島に…あなたの側にいてみる。それで…いつか、ちゃんと…返事をしたい……それじゃ、ダメかしら…」

戸惑いながらも真剣な眼差しのルーナを見つめる。しばらくしてふっと笑った。

「…ああ、いいよ。俺は待ってる」
「……ありがとう、ジーザス」

クス、とルーナは微笑んだ。安心したような笑み。ジーザスはその笑顔が本当に愛しいと思った。心から思えるくらいの愛情とはこういうものなのか。ジーザスも笑みを返し、ルーナの手を握って帰ろうとしたが、途中で手を止める。

「…あ、悪い…手握るなんて変だよな」

まだ返事もらってないのに、とジーザスは呟いた。先程は思わず手を握ってしまったがまだ両想いではないのにそれはおかしいとジーザスは考えたのだ。するとルーナは先程の手を握られたことと、握り返してしまったことを思い出し顔を真っ赤にして顔をぶんぶん横に振る。

「そ、それは、で、でもいいわよ…手を、握るくらい、なら…」

だんだん口調が小さくなっておかしくなっていくルーナ。顔を真っ赤にして恥ずかしげに言うルーナを見てジーザスの方まで恥ずかしくなっていく。

「ほ、ほんとにいいのか?」
「え、ええ…いい、けど…」

少し互いに黙った後、ジーザスは恐る恐るルーナの手を握った。先程も思ったがルーナの手は握るとなぜかひんやりと冷たい。しかし死人のような冷たさではなく、どこか氷に近い。しかし、それが嫌ではなかった。心地よい冷たさ。ジーザスはルーナの手をひいて、そっと歩き出した。

「…帰ろうか、ルーナ」
「…はい」

互いに笑みを浮かべながら二人は屋敷への帰路についた。


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