act.2 月の名を持つ看守

ルーナ・ブライアントという女性は、とても美しかった。
容姿は、可愛いというよりも「綺麗」という言葉が似合う、透けるような金髪のセミロングに青い瞳。二月生まれの二十二歳。父親よりも母親によく似ている。今までに何人もの男が言い寄って来たが、どんな男とも付き合った事が無い。それは彼女の性格故だった。
ルーナはとても生真面目で異性との恋愛に興味が無く、ただ自分の仕事に没頭したり、本を読んだりする性格なのだ。幼い頃から父に影響され、父のような立派な刑務官になることを夢見て来たルーナ。おとぎ話やメルヘンチックなものは一切興味が無かった。
ルーナは、別に裕福な家庭に生まれたわけでもないし、ましてやどこぞの王族の娘なんていうわけでもない。ただ、澄み渡るような美しさと、自分への厳しさがあったのだ。
生まれも育ちもヴェルヌ、ノイシュヴェルツ。刑務所の看守で、現在は所長のジム・ブライアントと、かつては新聞記者で現在は病気がちで家で裁縫教室を開くクレア・ブライアントの間に生まれた一人娘。
そして父方の祖父、グレゴリー・ブライアントは十年前までヴェルヌ警察ノイシュヴェルツ署の署長だった。グレゴリーは、人当たりも良く、穏やかな人柄でいつも幼いルーナを可愛がっていた。また、街の人々からも愛される存在だった彼だが、その活動が犯罪者達に疎まれ、ノイシュヴェルツマラソンリレーの開会式の日に狙撃され、暗殺されてしまった。その開会式には、ジムと幼いルーナも訪れていた…。 それ以来、ジムはひどく犯罪者を憎むようになる。ルーナは幼すぎて状況を理解できずにいたが、泣きじゃくる母と、母を宥めながらも肩を震わせ、凄まじく憎悪の籠った目をした父の姿が記憶に残った。 日頃から自分にも他人にも厳格な父、ジムの背中をずっと見て育ったルーナ。強い精神を持ち、断固とした意思を持つ。いつしか、ルーナはそんな父が自分の目指す憧れの存在になっていった。

「ルーナ、あなた本当に大丈夫なの?」

ルーナがノイシュヴェルツ刑務所に赴任する三日前、ノイシュヴェルツの自宅でルーナは母クレアにそう言われ、振り返った。ヴェルヌで看守になるには、看守学校に通い試験に合格するのが必須条件。ルーナは先月、試験を優秀な成績で合格し、ノイシュヴェルツ刑務所に赴任が決まっており、荷物をまとめていたのだ。

「大丈夫って何が?」
「…いくらお父さんが所長さんやってる刑務所だからって…あそこは本当に怖い所なんでしょう?お母さん、心配よ…」
「…確かにノイシュヴェルツは国内最大にして最悪の刑務所よ。でも、だからこそやりがいがあるの。……私、お父さんのような看守になるの。…犯罪者を許さないから」

服を畳みながら鞄に詰め込むルーナ。刑務所勤務は泊まり込むことも多い。夜勤等があればそのまま刑務所に泊まり、朝に帰宅することもある。そのため、荷物は持ち込んでおかなければならないのだ。

「あなた…お祖父さんのこと…」
「…わからないわ。でも多少なりとも考えていると思う。私は正義を貫きたい。この国から犯罪をなくすためにも…私達が犯罪者を監視しておかなければ…」

そう言うルーナの目は父、ジムと同じに見えた。

「そうね…ベリルさんも支えてくださるんだから、きっと大丈夫ね」

クレアの言う、「ベリルさん」とは、ヴェルヌ警察庁幹部のベリル・ロックイヤーのことである。二十六歳の若さで警察庁に配属されたエリート警官だ。父親は、ジムの大学時代からの親友でヴェルヌ警察庁長官、つまり現在の警察のトップであるネレイド・ロックイヤーという警察の家系の生まれ、そしてルーナとは見合いをした仲…。父親同士の取り計らいで見合いをした二人だが、ベリルの方がルーナを気に入り、以来連絡を取り合ったり時々会ったりする。しかし、まだ関係は持っていない。それはルーナが彼に対してどう接していいのかを悩んでいるからであった。

「…ベリルは良い人よ。でも…私はまだ彼を好きかわからない」
「ルーナ、ベリルさんはとっても優しいし、素敵な方だと思いますよ。あなたにふさわしい相手だと…」
「…安易な気持ちで決めたら逆に彼を傷つけてしまうわ。だから私、もっとゆっくり考えたいの。でも…確かにベリルは警察庁幹部だから、なにかと頼ってしまうかもしれないけど…ね」

苦笑いしながら、ルーナは母を見た。その青い瞳に宿るのは正義の心。自分の恋愛よりも優先すべきは国の犯罪を少しでも減らすこと。その身に、恐るべき事態が起こるのはそれから半年後であった。


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