act.25 さらばブリタナ




殺し屋ダルクによる一件から数日が過ぎ。あれから若干ジーザスはルーナを過保護ぎみに扱っているように見える。
ルーナはブリタナの生活にもだいぶ慣れて来たようで、笑顔も多くなった。それはなにより、ブリタナの人々の本当の心を理解し、彼女自身色々と考える事があるようだ。

(あれから…どれくらい経ったのか…私は…看守でありながらここにいて……これから…どうしたらいいのか…)

ルーナはひとり、オズボーンファミリー邸の庭から目下に広がるブリタナの街と海を見下ろしていた。時刻は夕方四時。夕焼けでオレンジ色に染まる街と海。その景色はあまりにも美しくて。だがルーナの心は複雑だった。
彼女は考えていたのだ。今後のことを。いつまでもブリタナにいるわけにはいかない。でも、それでも、なぜかここを離れたくないと思う気持ちがあった。

(お父さん…怒っているのかな…お母さんは…具合、大丈夫か……本当ならここを逃げ出してでも帰るべきなのに…どうして…私は…)

ルーナの母クレアは病弱だった。ルーナが誘拐された当時も僅かに持病の発作が出ていた頃だったが、それ以降はルーナは全く情報を得ていない。母の病はどうなっているのだろう。しかしそれを知る手だては無かった。

(…オズボーンファミリーのやってること…私が見てきた間は…とても悪党とは思えなかった。この島に住んでる人達は皆、彼らを慕って感謝してる。…だからこそ、…私自身迷っているんだと思う。どうせなら…彼らが本物の悪党だったら、素直に憎めたのに…)

犯罪者は全て悪。罪を犯した理由がいくら正当であっても許されない。ルーナはそう信じて生きてきた。だがそれが今揺らいでいる。
オズボーンファミリーは善か、悪か…。


「……ここにいたのか?」
「!…ジーザス…」

声をかけられ、ルーナはびくりと肩を震わせ、振り返る。そこにはジーザスが立っていた。

「冷えて来たぜ。そろそろ中に入ろう」
「……そうね。……ねえ、ジーザス」

少し影のある表情のままルーナはジーザスを見た。ジーザスも彼女が何を言いたいのか、若干わかっているようだった。

「……私は、これからどうしたらいい?」
「…………お前は、ヴェルヌに帰りたいか」

そう言われてルーナは黙ってしまう。ジーザスはなぜか苦しそうに目を細めてルーナを見つめる。

「わ、私は……」
「……ルーナ、お前は…俺達とは違う世界の人間だ……いずれ…帰らなきゃならないと俺は思う」
「……」
「お前は…俺達をまだ悪だと思うか?」
「そ、それは違う…あなたは…オズボーンファミリーは私が教えられて来たような悪人じゃなかった……それに今思えば…政府からの命令の中には時々…違和感を感じるものも多かったわ。政府が自ら犯罪者を連行してきたり、泣き叫ぶ容疑者を取り調べもせずに監獄送りにしたり……でも私は…それを鵜呑みにしてきた……」

次第に小さくなってくるルーナの語尾。彼女は詫びたいと思っているのだろう。かつてジーザスもルーナを憎んでいた。だが、変わっていく彼女に…自分の正義に迷う彼女に想いを寄せてしまっていた。違う世界に生きている人間だからこそ、惹かれ合うのかもしれない。
ーー…愛している。
だから、ルーナをいずれ帰さなければいけない……。

「…ルーナ。もう……潮時かもしれねえ……」
「……」
「ヴェルヌへ……お前を帰す…」

夕暮れが二人を赤く照らす。二人の視線はずっと合ったままだった。いずれ、この時が来ることを心のどこかでは理解していた…。



「ヴェルヌへ帰るぅ!?」

その日の夜十時過ぎ。オズボーン邸の居間で、ジーザスから夕方の話を聞いたムイが大きく叫びをあげた。その場にはルーク、ホミリー、カリブもいるが、ルーナはすでに就寝している。

「…ああ。夕方、話をしたんだ。明後日には…ヴェルヌへ帰す」
「だから晩飯の時気まずかったのか…」

ルークが言うように、夕食時ジーザスとルーナはほとんど会話をせず、曖昧な返事をお互いにするだけだった。いつもならジーザスがルーナに会話を振ったり、ルーナも笑いながら会話をしていたのに、と仲間達は首を傾げていたのだが…。

「…どのみち、あの子は私達とは違う世界の人間なのよ」
「ホミリーちゃん、言うねえ…」

グラスに注がれた酒を飲みながらホミリーは不機嫌そうな表情でつぶやく。隣に座るカリブが苦笑いした。
だがホミリーの表情は不機嫌ながらも「何で…」といったような感情も見えた。

「……所詮は…一看守よ。…あの子ひとりが、私達のことを理解したとしても、それで世界全部が変わるわけじゃない。あのバカ正直で生真面目なあの子のこと。ヴェルヌに帰ったらきっと『オズボーンファミリーはいい人達だった!』って叫び回るに違いないわ。それこそ自分の父親や、警察やら政府関係者に向かってね。でもどうせ揉み消されてあの子もいずれ私達のことなんか忘れるわ。……ヴェルヌって、そういう国よ」
「……ホミリーの言う通りかもしれねえ。ルーナはきっと…俺達のことをヴェルヌの連中に理解してもらいたいって思っているだろう。……だが、……俺は正直、ルーナには…俺達のことは忘れてもらいたい」

酒にも口をつけず、ジーザスは気が抜けたように感情のこもっていない声で呟いた。

「…ルーナにはただ幸せになってもらいたいんだ。…俺がしたことは…ルーナの心を傷つけた。だから…もう俺は…」
「…ジーザス…」

その場が静かになり、それ以降は誰も話さなかった。





そしてルーナがヴェルヌへ帰る日が来た。
ブリタナの港に集まるオズボーンファミリーの面々。そして大きめのバッグを持つルーナ。その表情は微笑んではいるが、どこか影があった。

「ルーナ、気をつけてな。元気でやってくれよ」
「応援してるからな」
「ありがとう…ルーク、カリブ」

それぞれからの激励の言葉に感謝するルーナ。ジーザスは複雑な表情でルーナを見つめているが、彼女は視線をあわそうとしてはくれなかった。

「まったく。この私が看守としばらく一つ屋根の下で生きるとは思わなかったわよ」
「ジーザスを奪われかけて不機嫌だったもんなホミリーは」
「うっさいわね!」

ムイを殴り飛ばすホミリー。未だにジーザスのことは諦めていないらしい。ルーナとはほとんど会話は無かったが、ダルクの一件でホミリーが活躍してくれたことをジーザスから聞いていたルーナ。

「ホミリーには、私がさらわれた時にすごいお世話になったから」
「あ、あれは…!ジーザスが困ってたからに…き、決まってるでしょう!だいたいどうして私が個人で看守を助けようなんて思うのよ…お、おかしいでしょ!」
「ツンデレ乙!」

再びホミリーに殴られるムイ。
そこでジーザスがルーナに声をかけた。

「…ルーナ。…この船に乗って行けば…来た時と同じ、ラングルトの港に出る。…そこから警察なり、父親なりに連絡を取るといい」
「…あ、ありが……とう……」

やはり気まずい雰囲気が流れる。おそらくここで離れれば……二度と会うことはないだろう。今の二人の関係はとても複雑だ。仲間でもなければ敵でもなく、恋人でもなく…。

「……それじゃあ…みんな……さよなら。……みんなも、元気でね。…みんなに会えて、本当によかった……!」

一度目を伏せ、もう一度開いたルーナの表情は本当に晴れやかで。
同じ港なのに、ブリタナに来た頃と今とではルーナの顔は全く違う。胸元に輝くブリタナブルーのペンダントと同じ青い瞳は希望に溢れていた。

「…さようなら!」

「…行っちまったぜ、ルーナ」

隣に立ちすくむジーザスを見て、ムイが言う。既にルーナの乗った船は海の彼方。
ジーザスは諦めたようにふっと笑った。

「これで…よかったんだ。これで……」



だが、これは新たなるルーナの危機のはじまりだったことは、誰も知らなかった。



ラングルト港に着いたルーナは、近くの公衆電話を使った。かけたのは、ヴェルヌ警察本部だった。

「…あ、もしもし。…私、ノイシュヴェルツ刑務所看守ルーナ・ブライアントです。…ええ、…先日、脱獄事件の折に巻き込まれた者ですが…はい。本日ヴェルヌへ帰還しました。…はい、解放されまして。…はい、来ていただけるとありがたいです。現在、ラングルトにいます。…お願いします」

警察へ電話をした後、電話を切ったルーナはひとつため息をついた。

(…本当に…帰って来たんだ。でも、…どうしてかしら。…寂しい、とどこかで思っているなんて…)

笑顔にあふれ、今まで知らなかった世界の人々を知ったブリタナでの日々。冷たい監獄世界ばかりだったルーナの世界に、彩りがあふれたような期間だった。

「…このことを、お父さんやみんなに…知ってもらわなきゃ」

オズボーンファミリーの真実をみんなに教えて、彼らを認める世界を作りたい。ルーナは意気込んだ。



そして数十分後、近くの駐在の警察官が到着し、ルーナを保護。そのまま首都ノイシュヴェルツへ向かい、まずは体調チェックを受けた。健康そのものだったルーナは警察本部の一室へと案内される。

「ルーナ!」

部屋に入ってすぐ叫び声が聞こえた。部屋にいたのは、ルーナの見合い相手だったベリルと、父ジムと母クレアだった。

「!お父さん、お母さん…ベリル…!」
「ルーナ…ああ、よかった…!」

わあっと泣きながらクレアはルーナを抱きしめた。その肩は震え、心底心配していたのがわかる。

「お母さん…」
「ルーナ…!無事なのか…ルーナ…!」 「!お父さん…」

大柄でいつも険しい顔をしていた父ジムはこの一月で疲労がたまったのか、痩せて目の下には隈ができていた。心配げに娘にたずねる。

「ええ、私は大丈夫。怪我一つないわ…」
「そうか……そうか……っ」

ルーナは今までに見たことの無い父の弱々しい姿に驚いていた。どんなに鬼と呼ばれようと、娘を思う一人の父親なのだ。

「ルーナ。…無事に帰って来てくれてよかったよ」
「ベリル…あなたが捜査してくれたのね」
「ああ、でも僕より…『マクリーチ博士』が協力してくださったからだ。本当に君は帰って来た」
「?マクリーチ博士…?」

聞き覚えの無い名前にルーナは首を傾げた。すると、部屋に入って来たのは……

「ああ、あなたがルーナ・ブライアント嬢ですか?」
「?あなたは……」

白衣を着た中年男性。眼鏡の奥の瞳は優しげに細められている。見るからに研究者という匂いがする。

「はじめまして。今回あなたの捜査に協力させていただいた、体質能力の研究をしている、心理学者のマクリーチ・ベクターといいます。………以後、お見知りおきを」


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