act.4 人質の看守
脱獄したその日、ジーザス達は輸送車を捨て何人かに別れて複数の車を奪い、刑務所からなるべく離れた土地を目指していた。ジーザスはトラックを強奪し、ルークや人質のルーナの他、十一人の囚人を乗せていた。
「この先はドラルスだ。田舎町で人も少ない。しばらくそこで身を隠すぞ」
「おお」
ジーザスはトラックの中の荷台に座り、車内にあった地図を見ながらルークに言った。ちらりとルーナを見ると相変わらず俯いたままで座り込んでいる。後ろ手にかけられた手錠のせいで身動きができないが、抵抗くらいはできるはずなのにしない。それは、彼女が一番この状況を理解しているからだ。
(……マフィア、オズボーンファミリーの息子…ジーザス・オズボーンが筆頭…その仲間ルーク・ジョーンズの他に…殺人や強盗の凶悪犯が複数…これじゃ逃げられもしないし…下手したら…)
ルーナは囚人達が持つ銃やナイフに目をやる。妙な真似をしたら本当に殺されかねない。ルーナはただ黙っておとなしくしているしかなかった。すると囚人の一人がいきなりルーナの髪を引っ張り、顔を上げさせる。あまりの痛みにルーナは呻いた。
「うっ…!」
「しかしあの嫌味な女看守がまさかこんないい女だったとはなぁ」
「ああ、ジーザス、いいだろ?こいつ好きにしても」
「…バカか。こいつは人質だ。俺達が逃げ切るまで手ぇ出すな…まだ油断できねぇからな」
ジーザスは追っ手を常に警戒していた。ジーザス以外の囚人達はもうほぼ逃げ切ったと思っているが、ジーザスだけは逃走経路、追っ手をかいくぐるためのルート等をしっかりと考え、指揮している。マフィアの跡取り息子として育った彼は非常にそういった頭の回転が速い。そして人質のルーナの扱いもはっきりと決めていた。
(この女は所長の娘…そう簡単に奴らも手は出せない、が…必ず取り返そうとするな…)
どんな手を使っても娘を捜そうとするはず。だから油断はできない。警察も必死になって追っていることだろう。だがジーザスには考えがあった。完全に逃げ切るには、海外へ飛ぶのが一番だと。彼は、海外へ逃げるための切り札があるのだ。やがて夜になり、トラックはある廃工場にたどり着いた。田舎町ドラルスは人口五十人あまり、その大半が高齢者の町だ。おそらく誰も通報はしないだろう。廃工場でトラックを降りた囚人達は皆伸びをしたり、外の空気を吸って喜んでいる。ルーナもジーザスに抱えられ、外へ出され、床に落とされる。
(痛…)
容赦なく落とされ、バランスを取れずに寝そべる形になるルーナ。だがジーザスはルーナに目もくれず、廃工場の構造をしっかりと見て囚人達に重い扉を閉めさせる。
「今晩はここで泊まるぞ。明日の朝、港町ヴェルヌへ向かう。そこから海外へ飛ぶぞ」
「おう!」
途中で盗んだ食料や酒で食事を始めたり、思い思いの時間を過ごす囚人達。ルーナは柱に手錠で拘束された状態でただ黙って俯いていた。
(どうしてこんなことに………もっと私がしっかりしていれば…)
ルーナはあれからずっと自分を責めてばかりいた。刑務官として、自分の責任だと強く何度も思った。頭の中には常に厳しく、しかし尊敬していた父が浮かぶ。
(お父さん………)
そんなルーナを見るのは酔いが回っている囚人達。三人ほどでいやらしく笑い、ルーナに近付こうとする。するとその前に立ちはだかったのは意外にもジーザスだった。
「んだよ、ジーザス!いいだろ?ちょっとくらいは」
「……ダメだっつってんだろ。コイツはただの人質だ。そういうのは逃げ切ってから他の女探せ。…俺の命令に逆らうってんなら……今すぐここに置いてくぞ」
「わ、わかったよ…」
しぶしぶ囚人達が離れていくと、こちらを見上げるルーナとジーザスの目が合った。ジーザスはすぐ目をそらし、パンと水を彼女の側に置く。
「食っとけ。もたねぇぞ」
「………」
しかし、自らを誘拐した犯人からそんな風に言われてもルーナは食べる気になれなかった。
「………」
「…ったく、食べたくねぇってか?」
ため息をつくと、ジーザスはパンと水を乗せたトレーをルーナの側に置く。
「どっちにしろその状態じゃ食えないだろ?……食いたくなったら言えよな」
「…………」
その場から離れるジーザス。ルーナは食欲なんて湧かなかった。そして工場の窓から見える星空を見上げた。
(………お父さん……)
ルーナの瞳から涙が流れた。
その日の夜。夜になるとすっかり寒くなり、工場内はとても冷たい空気が流れていた。真冬のドラルスは氷点下の温度が当たり前だ。山が近く、空気も澄み切っている。工場の窓からはノイシュヴェルツでは滅多に見れない数多くの星が濃紺の夜空に散らばっていた。
「うう、…寒ぃ……」
囚人達は皆トラックの中で眠りにつき、ほとんどの者が酒のおかげで熟睡していた。そんな中、深夜にジーザスはあまりの寒さに目を覚まし、囚人達を踏みつけないようにして外へ出た。工場内にも関わらず、冷気にジーザスは身を震わせる。そしてふと気付いた。目線の先には体を震わせる拘束中のルーナがいた。
(あいつ…)
毛布も何も無い状態でずっとルーナは柱に手錠で拘束されたまま。鼻は赤くなり、俯きながらじっと寒さに耐えている様子だった。
「……ったく」
ジーザスはため息をついて、近くにあった毛布を手に取り、ルーナにそっと近付く。
「おい」
「…!……何の用」
「………仕方ねぇな…お前に凍死されちゃ困るんでね」
そっとジーザスは毛布をルーナにかけてやる。ルーナは一瞬驚いた顔をしていたがすぐに毛布の温もりを感じてほっとした顔つきになった。
「………」
「……………オズボーン」
「あ?」
「……」
そっと、ルーナは呟くようにジーザスに話しかけてきた。ルーナがジーザスに話しかけるのは初めてのことだった。
「………私を、殺して」
「…!……なんだと?」
「……死にたい…………」
この世の終わりと言ったような声だった。ジーザスが見れば、ルーナの目はうつろですべての希望を失ったような瞳。誘拐されたのは自分が弱いから。自分が刑務官として優秀ではなかったから。自分のせいでこうなった。刑務官として恥ずべきこと。
「私の…私のせいで……こうなった……お父さんはきっと…愚かだと言う…………生きてる価値なんて無い…」
「…………」
ジーザスはルーナの話を聞きながら隣に座る。ルーナの顔つきを見ていると、何故か過去のことを思い出した。脳裏に移るのは、黒髪の女性――ジーザスは一度目を伏せ、そしてルーナの肩を強く引き寄せた。
「!ちょ…オズボーン…」
「……お前が死んだら困るんだ……大事な人質だからな」
「……」
こんな状況なのに、ルーナはジーザスの腕から伝わる温もりになぜか安堵感を感じてしまっていた。何故かわからないけれど……。
(………憎むべき相手なのに…)
それはきっとこの寒さ故に、人の温かさを求めてしまう無意識的な行動だ。ルーナは強くそう言い聞かせ、いつしか眠りについてしまった。