act.5 正義の心

ジーザスは車内に戻り、眠りについていた。そして珍しく、昔の夢を見た。
優しかった母の姿。背中しか見えない、父親。幸せだった幼い頃の記憶だ。そんな夢はもう今には無いもの…。



それは、次の朝に起きた。

「ジーザス!おい、大変だ!」

囚人のうちの一人が車内で寝ていたジーザスを呼んだ。ひどく困惑して、慌てているような声。ジーザスは目を開け、眠たげに囚人の方を見た。

「なんだ…どうした」
「看守が自殺を計ったんだ!」
「!なんだって…」

ジーザスは飛び起きた。人質のルーナが自殺を計ったという事実に一気に眠気が覚めた。人質がいなくなれば逃走の際、捕まりやすくなる。完全に逃げ切るまで、彼女は生きていなくてはならない。
ジーザスが上着を着て走ると、昨晩と変わらぬ場所で拘束されたまま、手首を切って意識を失っているルーナがいた。彼女の手首の側にはガラスの破片と大量の血。ここは廃工場だから、辺りには割れた窓ガラスやゴミが散乱していた。ルーナはたまたま手が届く辺りに落ちていたガラスの破片を使い、自殺を計ったのだ。

「…!」

ジーザスは昨晩の事を思い出す。彼女は虚ろな目で死にたいと言っていた。すぐにジーザスはルーナの手錠を外し、手首に手をあてるとまだ脈がある。

「まだ生きてる…おい、この近くに小さい医院があったろ!俺がそこに連れて行く!」
「な、なんでそんな奴を助けるんだよ?もう見捨ててもいいだろ…」

そう言った囚人の一人をジーザスは怒鳴りつける。

「こいつは人質だって言ってんだろう!俺達が逃げ切るまではこいつには生きててもらわなきゃいけねぇんだ!」

ジーザスの気迫に押され、囚人達は凄む。ジーザスはルーナを背負い、車の裏まで回ると先日他の囚人達に盗ませてきた衣類の詰まったカバンから適当なシャツとズボンを出す。すると未だ看守服のままのルーナの服に手をかけた。医者に診せるのに、この格好のままではまずいからだ。一旦手を止めたが、ジーザスはため息をついて、彼女を着替えさせることにした。



ジーザス達が潜む廃工場から五分ほどの場所に、老夫婦が営む小さな、本当に小さな医院がある。田舎町ドラルスではほぼ病気になる人々がいないため、人は滅多に来ない。老夫婦は今日もまたのんびりと過ごしていた。
すると、そこに駆け込んできた珍しい客がやって来た。カーキ色の上着を着て黒いズボン姿の若い男が、金髪の女性を背負っている。老夫婦の夫が椅子から立ち上がって何事かと近付く。

「おや、あなたは…そちらの女性は?」
「すいません、助けてください…俺の連れが…手首を切ってしまって…血が止まらないんです」

男…ジーザスはルーナを背負い、息を切らして老夫婦の夫に言った。妻がすぐに奥の部屋からタオルと止血用ガーゼを持ってくる。夫は奥のベッドに寝かすようジーザスに動作で促す。ジーザスはルーナを寝かせ、深いため息をついた。

「助かりますか」
「とりあえず、止血して様子を見ましょう…あなたは、この人のそばに」

どうやら老夫婦はジーザスとルーナが恋人か夫婦だと思っているらしく、すぐ処置に挑んだ。
ジーザスはそれを見ながら、膝に手を乗せ、再びため息をついた。



同時刻、ヴェルヌでは国内最大にして絶対に逃げられないと言われていたノイシュヴェルツ刑務所囚人集団脱獄が騒ぎになっていた。ジーザス達が脱獄した直後、所長ジムや他の看守達が逃げ遅れた囚人達を確保したが、ルーナを人質にしたジーザス達の行方はわからなかった。
警察本部もこの事態に懸念を抱き、捜索本部を設置した。ノイシュヴェルツにあるヴェルヌ警察本部の会議室にジムがひとり、暗い顔で俯いていた。
そこにひとりの若者が入ってくる。ブロンドに近い栗色の短髪に綺麗なアイスブルーの瞳、ダークグレーのスーツにはヴェルヌ警察本部の証である銀色のバッジ。彼に気付くとジムは顔を上げた。

「ベリル君…」
「ブライアントさん…ルーナが連れ去られたというのは…」
「事実だ…」

彼がルーナの婚約者、ベリル・ロックイヤーである。ベリルは心底心配したようにジムに詰め寄った。ジムの顔は普段よりも血の気が無いように真っ青に見えた。

「主犯格はあのオズボーンファミリーの跡取り息子だと聞きましたが…」
「ああ…そうだ…私が見た時、ルーナを人質にしていたのはジーザス・オズボーンだった。オズボーンファミリーは…恐ろしい組織だ…」
「僕も話は聞いています…オズボーンファミリーは危険な奴らだと…」

ベリルは正義感溢れる警察官だ。警察庁長官の父を持ち、幼い頃から警察官になる事を夢見て来て、高校卒業後、警察学校に進学し、二十歳で交番勤務に。そして日々犯罪者を逮捕し続け、二十二歳でヴェルヌ警察署勤務の刑事になり、二十五歳の若さで警察庁に異動になった。つまり、若きエリート警察というやつだ。
昔からルックスも性格も良いため、女性にはもてていたが、いつもやんわりと断っていた。彼もまたルーナと似て、自分より正義を重んじる性格だったからだ。だが、父親同士が決めた見合いで半ば強制的にルーナと見合いをすることになった。ベリルは全くその気はなかったので、少し話をしてやんわりと断ろうと思っていた。だが…いざ会ってみると、その洗練された美しさに一目惚れしてしまった。そして何よりも正義を貫こうとする意思と、必死に父を目指そうとしつつも見え隠れする本来の優しさに心を惹かれた。以来、ベリルはルーナと時折会っていたのだが…まさかこんな事件が起きるとは…。

「私のせいだ…私がしっかり統率していれば…」
「ブライアントさん、自分を責めないでください!僕が…僕が必ず、ルーナを連れ戻します」
「ベリル君…」
「僕自らが捜査を指揮します!僕はルーナを必ず連れ戻す!そのためならなんだってします!」

いつも温厚なベリルがここまで熱くなるのは珍しい。それほどまでに彼はルーナを…。

「…ベリル君、頼む!娘を…ルーナを助けてくれ」

ジムがベリルを見て彼の手を強く握り、祈るように頼んだ。ベリルはそれを握り返し、強く頷く。
「…彼女は、僕が助け出します」


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