act.7 新たな世界への旅立ち

そして、その夜十一時。港には四隻ほどの船が停泊していた。これらはそれぞれ世界の違う港に向かう船である。ジーザスと囚人達が逃走するためのもの。
ルーナはマクスウェルの家の二階の部屋で窓辺に座り、夜の海を呆然と眺めていた。

(あと数分後に私は殺される……)

何故か恐怖はなかった。ただ、今までの人生を振り返る余裕があるだけ。一瞬、父と母の姿が脳裏に浮かんだが表情を変える事は無かった。すると、扉が開き、ジーザスが入ってくる。ルーナは相変わらずぼんやりとした目でジーザスを見るが、ジーザスは月明かりに照らされていたルーナに一瞬目を惹かれてしまう。それほどまでに今の彼女は元の美しさだけでなく、死を間近に迎える悲しみが身に現れているのだろうか。

「……時間だ。行くぞ」
「……」

ルーナは返事をする代わりに切なげな瞳をジーザスに見せて立ち上がった。

(…いよいよ…私は死ぬのね…)



港の船のいくつかはすでに出航していた。ジーザス達が乗る船には既にルークが乗っている。

「よーし、これでブリタナとはグッバイだぜー」

ルークは楽観的に笑った。しかし、ジーザスとルーナの空気は重い。ジーザスはどこか暗い顔つきでルークの声にも返事をしなかった。そして船の前に来ると、足を止め、ルーナに言う。

「………ルーナ・ブライアント。…これで俺達は逃げる。ブリタナはオズボーンファミリーの支配する島だ。例えヴェルヌ政府といえど手を出せない。ファミリー直轄の地に手を出せば全面衝突になるからな。……つまり、ここで人質のお前は必要ない…」
「………」

ジーザスの言葉にルーナはさらに顔を俯かせる。そしてジーザスが懐から出したのは…黒いオートマチック型の拳銃。マクスウェルを通じて拳銃を入手したのだ。拳銃を見た瞬間ルーナはびくり、と目に見えて動揺したのだがすぐにまた元に戻る。いざ死の覚悟を決めていたとしても拳銃を見れば恐れを感じるのは当たり前。ルーナは顔を上げ、真っ直ぐジーザスを見た。

「殺せば良いわ…人質になって生きる屈辱はもうまっぴらよ…」

どことなく、今まで看守の囚人を見下した態度だった言葉付きも、死を前にして彼女本来の口調に戻っていた。生を諦めたような表情も言葉も…ジーザスはそれを見て複雑な感情を抱いていた。

(…前にも俺は、この表情を見た事がある…)

ルーナではない誰かの。だがそれが誰だったかは覚えていない。ジーザスは拳銃をルーナの額に向けた。

「…死を恐れないのか」
「言ったはずよ…私はもう屈辱を受けたくないのよ。あなた達にとっても邪魔な存在でしょう。さあ、殺しなさい…」

ジーザスはルーナを見つめながら拳銃の引き金に手をかける。そして…その瞬間凄まじい銃声が鳴り響く。その音は港町の酒場の喧騒に紛れて住人達には聞こえなかったがジーザスには大きく感じられた。



しかし、銃弾はルーナの額を貫く事は無かった。むしろ、彼女を傷つけてもいなかった。痛みを想定して目をつむっていたルーナは驚いたように目を開く。ジーザスの銃は空を向いており、すぐにカランという銃弾が地面に落ちた音が聞こえた。ジーザスはルーナを撃たなかったのだ。

「…どうして、何故撃たなかったの!私は…死にたいのよ!!」

ルーナがジーザスに掴みかかる。いつもの彼女ならしないような、焦りと怒りを見せていた。

「…今、看守のお前は死んだ。後は俺の自由にする…」
「何故っ!!!何故そんなことをしたのよ!!これ以上生き恥をさらせる気なの!?」
「…いいか、俺はな、無闇に殺し回ったりする奴が大嫌いなんだよ。一緒にすんなよ…俺はお前みたいな奴を殺したって得しねえんだ。いいか…俺が逮捕された半年前の殺人だって…あいつが俺を撃とうとして襲って来た…それをかわして銃を奪おうとした瞬間、暴発して奴が死んだ。俺はあいつを殺すつもりは無かった」
「な…なんですって?」

ジーザスがその告白をした瞬間、ルーナは止まっておかしなものを見るような表情をした。嘘をついているようには見えない、正直な反応。

「そんなこと…信じられないわ」
「…やっぱり、お前らには知らされてなかったのか。俺は正当防衛だろ?そういう場合…だが、ヴェルヌの警察や政府関係者はオズボーンファミリーを目の敵にしている…ボスの息子を逮捕すりゃ親父やファミリーを潰せると思ってたんだろう。だから無理矢理俺に殺人の罪を着せ、投獄したんだよ…それをお前らみたいな下の連中は信じ込まされてた。…罪の無い奴を服役させるのが、お前らの正義なのかよ!」
「…そ、それは…」

あまりの衝撃でルーナは答える事が出来ない。ルーナ自身はジーザスが本当に悪人だと信じていた。おそらく、父も同僚達も。なのに、ジーザスは罪を犯していないのだとしたら?

(彼の言う通りだわ…もし、ジーザス・オズボーンが本当に殺人の罪を着せられていたのだとしたら……私は…罪の無い人を半年間も投獄して虐げていた…それは…正義じゃない…!私は…そうだとしたら…!)

あまりにも純粋な正義を愛するルーナだからこそ本当に自分のしていた事が正しいのかわからなくなり混乱していた。ジーザスはため息をつく。

「…お前が正義を信じているのはわかる。正義のために命を投げ出すバカだってこともわかった。この数日間でな。……だったら今度はお前が、俺達の世界を見てみろ」
「え……」
「…言ったろ。ブリタナはオズボーンファミリーの本拠地であり、一番の領地だ。島にはファミリーを慕ってやって来る者、訳あって逃れてきた者がいる。そこで自分の目で確かめてみろ。……俺達の世界を」
「……あなたたちの、世界…」

今まで自分が悪だと信じて来た世界だ。もちろんすぐ拒絶反応はあったが、このジーザス・オズボーンのいる世界。彼はもしかしたら凶悪犯ではないかもしれない。事実、この数日間で彼は寒さに凍えるルーナに温もりを与え、怪我をした彼女を医院まで担ぎ込みずっと看病し、死を望む彼女を殺さず生かした。本当の凶悪犯ならこんなことをするだろうか?ジーザスへの興味が芽生えているのも事実だ。

「…私が信じる正義が…偽りだとしたら…それは…国が仕組んだと言うの…?私が今まで信じて来たものが嘘だと言うの!?」
「…嘘か本当かは、お前が決めろ。嫌ならここで置いて行く。明日にでも大好きな父親のもとに帰れるぜ」
「…父の元に帰れたとしても、また同じ生活が始まる…そこで…偽りの正義のまま看守として無罪かもしれない人を虐げるのならば……それは……」

そう小さく呟いた後、ルーナは顔を上げてジーザスを見る。今まで恐ろしい犯罪者としか見れなかった顔を別の視点で見てみる。不思議な事に、彼の緑の瞳は今までより優しく見えた。そしてジーザスが船に乗り、手を差し伸べてくる。

「お前の正義を確認してみるなら、来い。ブリタナへ」

それはルーナにとって賭けだった。その手を取れば、新たな世界が見えるかもしれない。しばらくして、ルーナはついにその手を取ってしまった。

「…勘違いしないで。私はただ自分の正義を考えるために行くの。…けして、馴れ合ったりはしない」

するとジーザスは小さく笑い、その手を引いて船に乗せた。その際少し体が触れ合う。

「…上等だ!よし、出航だ!目的地は…希望の地、ブリタナだ……」
「……」

ルーナはすぐさま触れていたジーザスから離れ、次第に離れて行く街を…ヴェルヌ本国を見つめた。

(…お父さん、お母さん…心配しないで。…私は必ず、正義が何なのかを見つけて帰ります…)


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